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長野地方裁判所 昭和26年(ワ)94号 判決

原告 山岸加一郎 外五名

被告 横山勇夫 外三名

主文

一、原告等が別紙第一、第二目録〈省略〉記載の土地の管理権及びその毛上の管理、処分権を有する井上村四部落共有山林管理委員であることを確認する。

二、被告横山、同一色は別紙第一、第二目録記載の土地、被告和久井は別紙第三目録〈省略〉記載の土地、被告保科木材有限会社は別紙第二目録記載(14)ないし(17)の土地の立倒木の伐採、搬出をしてはならない。

三、原告等のその余の請求を棄却する。

四、訴訟費用は被告等の負担とする。

事実

(当事者の求める裁判)

原告等は主文第一項同旨及び「被告横山、同一色は別紙第一、第二目録記載の土地、被告和久井は別紙第三目録記載の土地、被告保科木材有限会社は別紙第二目録記載の土地の立倒木の伐採、搬出をしてはならない。」との判決を求めた。

(原告等の請求原因)

一、別紙第一目録記載の土地は徳川時代からこれを含む附近一帯約二七七〇町歩の山林、原野と共に現在の行政区劃でいえば須坂市大字井上、同幸高、同九反田、同中島、同福島(以上旧井上村)、同八丁(旧高甫村、後に上八丁、下八丁に分れる。)、同高梨(旧日野村)、若穂町綿内(旧綿内村)、東村大字仁礼、同村大字仁礼字仙仁、同村大字栃倉(以上旧仁礼村)の一一部落(行政区劃としての大字、字ではなく経済的共同体でありいわゆる実在的総合人である部落)の入会山であつたが、明治初年頃右一一部落が共同で国からその払下げを受け、次いで明治三八年三月一〇日右高梨部落が、同三九年一〇月三〇日綿内部落が、同四二年二月二六日福島部落がそれぞれその持分を仁礼、仙仁、栃倉部落に譲渡したので、明治末年には当時の行政区劃で井上村四部落(井上、幸高、九反田、中島)、仁礼村三部落(仁礼、仙仁、栃倉)、高甫村一部落(八丁)の共有地となつた。当時各部落から選出された山委員が共同して経費、公租公課の割当て徴収等全入会山の管理に当つていたが、収益権能は各部落の全住民が直接これを有し、稼高に制限なく泊り込んで炭を焼くことのほかは自由に入会つて毛上を採取していた。そして各住民は持分を有せず、その収益権能を譲渡することができず、当該部落の住民でなくなれば当然にその権能を失い、入会山(地盤)の分割請求権、処分権を有しなかつた。

二、右のように所属する村の異なる数部落住民の入会山であつたため管理が円滑に行われず山林は荒廃してしばしば洪水の脅威にさらされたため、大正一四年一二月八日長野県の指導により旧来の住民による自由な入会を規制し管理の適正を期するため右三村所属部落間に全入会山が分割され、別紙第一目録記載土地は前記井上村四部落の共有となり、井上村大字井上、大字幸高、大字九反田、大字中島の共有地として登記を経由した。右四部落においては旧来の山委員(前記分割に当り整理委員と改称)で構成される井上村四部落共有山林管理委員会が専ら右土地の管理に当ることとなり、各部落住民の自由な入会を禁止し右委員会が毛上の管理、処分権を有するに至つた。そして右四部落は昭和四年一二月一日右土地につき各部落に対する収益分配の率を定めるため次のような協定をなした。

「一、分割ヲ受ケタル総反別五三九町五反一畝歩(別紙第一目録記載の土地)ノ井上村四部落ノ各持分ヲ左ノ通リ決定ス全山ノ三分ヲ四分シテ各部落平等トシ残リ七分ハ入会権者人員ニ平等割トナシ各部落ノ持分トス

入会権者数 大字井上二一〇戸 大字幸高四九戸

大字九反田四〇戸 大字中島八五戸

二、峯ノ原ハ村ノ名義ヲ借リ官行造林ヲ施行スルモノトス

三、全山ノ三分ヲ四分シタルモノハ各部落毎ニ入会権者ノ共有地トス但シ「上入リ」ニ於テ各部落協議ノ上分割シ各取得地ヲ決定スルモノトス

四、全山ノ七分ハ四部落入会権者ノ共有地トス」

右協定はその文言によれば一見右土地が大字井上二一〇名、同幸高四九名、同九反田四〇名、同中島八五名計三八四名の「入会権者ノ共有地」であることを定めたかのように見えるが、右三八四名の数字は当時の実在の戸数を表示したものではなく、徳川時代の本件全入会山に対する徴税の基準として定められた各部落の戸数が明治以後も実際の戸数の変動とは無関係に部落の負担率として承継されたものであつて、右協定もこれを踏襲し各部落の収益分配の率を定める基準として右数字を使用したに過ぎないものである。

三、前記井上村四部落共有山林管理委員会の構成及び委員の選任は旧来の慣習によるのであつて、委員会は井上部落選出の四名、九反田、幸高、中島部落選出の各二名計一〇名の委員(以下管理委員という。)で構成され、そのうち一名を委員長、一名を副委員長とし議決は全員一致によつてなし、管理委員は各部落の区長(総代)が伍長又は組長と相談の上推薦し(中島部落では部落総会の選挙による。)、委員会の承認を得て就任し、任期の定はなく、区長(総代)及び委員会の承認を得て辞任することができるものである。右委員会は昭和一八年に一度部落住民の入会を許し、昭和二二年一〇月一日別紙第一目録記載の土地の一部につき浄運寺との間に地上権設定契約を締結する等の管理、処分を行つて来たが、昭和八年九月二二日四部落のために別紙第一目録記載の土地に隣接する別紙第二目録記載の土地を柄沢五一郎、同利一から買受け、(同月二九日当時の管理委員一〇名の共有地として所有権移転登記を経由。)以後第一目録記載の土地と同様にその管理、処分権を有するに至つた。

四、前記管理委員は当初は旧来の山委員であつた坂本重雄、山岸国治、小林保治(以上井上部落。一名欠。)、山岸信太郎、山岸住蔵(以上幸高部落)、穂刈五衛門、市川喜左ヱ門。以上九反田部落)、西沢万吉、原告堀内房司(以上中島部落)が就任し、その後前記の手続を経て井上部落では昭和二年一月一〇日原山千代松が新たに選任され、山岸国治辞任して同七年一〇月二〇日清水初三が、小林保治及びその後任である藤沢仙助(同二年一月一〇日就任)、小林盛衛(同四年一月一二日就任)がいずれも死亡して同一四年一〇月一〇日原告山岸加一郎が選任され、九反田部落では穂刈五右衛門が死亡して大正一五年一月一〇日原告神田善三郎が、市川喜左衛門が死亡しその後任である北村佐衛門(大正一四年一月一〇日就任)が辞任し、昭和一九年一月一〇日原告穂刈五右衛門が選任され、中島部落では西沢万吉が辞任しその後任である長岡久治(昭和六年一月一五日就任)が辞任後再び西沢万吉が選任され、同人死亡後昭和二二年一月一二日原告佐藤重太郎が選任され、原告堀内房司が辞任し後任である近藤寅治が辞任したので同四年一月二〇日原告堀内房司が再び選任された。以上の経過で昭和二三年当時の管理委員は原告等六名と坂本重雄、原山千代松、(以上井上部落山岸信太郎、山岸住蔵(以上幸高部落)の一〇名であつたところ、その後坂本重雄は昭和三七年六月一六日、原山千代松は昭和三六年四月二九日、山岸信太郎は昭和三一年一二月二五日死亡し、山岸住蔵(昭和二八年一〇月一一日死亡)は昭和二五年一二月二八日辞任したが、いずれも後任は選出されず現在四名欠員になつている。以上のとおりで原告等六名は正当に管理委員に選任され現に前記管理委員会を構成する管理委員として別紙第一、第二目録記載の土地の管理権及びその毛上の管理、処分権を有するものである。

しかるに被告等は原告等が前記管理委員であることを否定し、被告横山、同一色は自ら管理委員であり別紙第一、第二目録記載の土地の毛上の管理処分権を有すると称して昭和二六年頃被告和久井に対し同第二、第三目録記載の土地上の立倒木を売却し、被告和久井はその頃更に右第二目録記載の土地上の立倒木を被告保科木材有限会社に売却した。よつて被告横山、同一色は右第一、第二目録記載の土地、被告和久井は右第三目録記載の土地、被告保科木材有限会社は右第二目録記載の土地につき立倒木を伐採、搬出するおそれがあるから、被告等に対し原告等が前記管理委員であることの確認を求めるとともに右各立倒木の伐採搬出の禁止を求める。

(抗弁に対する答弁及び再抗弁)

一、抗弁一、の事実は全部否認する。

二、抗弁二、の事実は全部否認する。原告山岸加一郎、同清水初三、坂本重雄、原山千代松が昭和二三年五月頃当時の井上部落総代であつた横山豊太郎に管理委員の辞表を提出した事実はあるが、管理委員辞任の効力の発生には前述のとおり慣例上部落総代及び管理委員会の承認を要するところ、右原告山岸等四名の辞任については部落総代及び管理委員会の承諾がなく、却て右原告等四名は昭和二六年五月一七日昭和二三年から昭和二六年までの井上部落総代の勧告を受けて辞意を撤回したのであるから、右辞表の提出によつては辞任の効力は発生しなかつたものである。仮に右辞表の提出により辞任の効力が発生したとしても、昭和二六年五月一七日当時の部落総代坂本信吉の辞意撤回の勧告は新たな推薦と解され、その頃管理委員会の黙示の承諾を得ているものであるから、右原告等四名はその頃新たに管理委員に就任したものといわねばならない。

三、抗弁三、の事実は否認する。仮に右事実があつたとしても堀内金之助、牧嘉一は昭和二六年三月二八日頃管理委員を辞任し、同年五月二四日原告堀内、同佐藤が部落総会の選挙により新たに管理委員に選出され、以後改選が行われないため右原告両名は現に管理委員の地位にあるものである。

四、抗弁四、の事実は否認する。

(被告等の請求原因に対する答弁)

井上村四部落間に昭和四年一二月一日原告等主張の協定が成立したこと、原告等主張の各土地の管理及び処分等一切は井上村四部落共有山林管理委員会(但し正式の名称は井上村四部落山林委員会)の決するところであり、昭和二三年当時原告等六名と坂本重雄、原山千代松、山岸信太郎、山岸住蔵が右委員会を構成する委員であつたこと、右坂本重雄、原山千代松、山岸信太郎、山岸住蔵がそれぞれ原告等主張の年月日に死亡したこと、被告横山、同一色が昭和二六年頃被告和久井に対し別紙第二目録記載(14)ないし(17)の土地の杉立木及び同第三目録記載の各土地のうち実測約四五町歩の雑木を売却し、同被告がその頃右第二目録記載(14)ないし(17)の土地の杉立木を被告保科木材有限会社に売却したことは認めるが、原告主張の各土地が井上村四部落の共有であることは否認する。

(抗弁)

一、別紙第一、第二目録記載の土地は原告主張の協定により井上村四部落住民中被告横山、同一色を含む三八四名の共有となつたものであり、原告主張の管理委員は右共有者によつて選任されたものである。

二、昭和二三年五月頃当時井上部落選出の管理委員であつた原告山岸加一郎、同清水初三、坂本重雄、原山千代松は管理委員を辞任し、被告横山、同一色ほか二名がその後任として井上部落選出の管理委員に選任された。そして被告横山、同一色は昭和二六年三月二二日当時の管理委員会の決議にもとずき本件土地の立木を伐採の目的で他に売却する権限を委任され、同年五月二二日右権限にもとずき前記立木を被告和久井に売渡したものである。

三、中島部落においては同部落選出の管理委員の任期は二年と定められていたところ、昭和二六年一月改選に当り堀内金之助、牧嘉一が新たに選出され、原告佐藤、同堀内は辞任するに至つた。

四、原告山岸、同清水ほか二名はその後も自ら管理委員であると称し、被告横山、同一色等との間に紛争が生じたところ、昭和二九年九月一日開催された井上村四部落有権者総会の決議により、当時の管理委員(被告横山、同一色等)及び管理委員と称する者(原告山岸、同清水等)全員が罷免され、かつ、従前の管理委員及び管理委員と称する者がなした行為は総べて有効なものとして承認された。よつて原告等六名は既に管理委員の地位を失い、被告横山、同一色のなした前記売却行為は共有権者から有効なものとして承認されたのであるから、原告等の本訴請求はいずれも失当である。

証拠〈省略〉

理由

一、(本件土地の所有関係)

別紙第一目録記載の土地(以下本件土地という。)を含む二七七〇町余の山林(以下入会山という。)がもと旧井上村(現在須坂市)井上、幸高、九反田、中島部落(以下井上村四部落という。)、旧仁礼村(現在東村)仁礼、仙仁、栃倉部落、旧高甫村(現在須坂市)八丁部落計八部落の共有であつたこと、右土地が古くから右八部落の入会山であつたこと、右入会山が大正一四年頃右三村所属部落の間で分割され、本件土地が登記簿上井上村大字井上、大字幸高、大字九反田、大字中島の共有地として登記されたことは被告等の明かに争わないところであるからこれを自白したものとみなすべく、昭和四年一二月一日井上村四部落間に原告主張の協定が成立したことは当事者間に争がないところ、原告等は右協定は入会山の分割によつて井上村四部落の共有となつた本件土地につき四部落に対する収益分配の率を定めたものであると主張し、被告等は右協定は本件土地が四部落住民中三八四名の共有とすることを定めたものであると主張するので、以下この点について判断する。

成立に争のない甲第四号証、第一〇号証の一、二、第一三号証、第五四、第五五、第五七、第五八号証、証人横山豊太郎(第一、二回)、宮下政次郎、近藤堯、綿田尚二、堀内六兵衛の各証言及び原告山岸加一郎、同神田善三郎各本人尋問の結果によれば次の事実が認められる。前記入会山は前叙のとおりもと前記八部落の入会山であつて、各部落の全住民が直接の収益権能を有し、入会山から自由に薪炭、秣を採取(但し炭は消炭に限り入会山に泊り込んで焼くことを除く。)することができ、各部落としては入会山委員を選出し、右委員が共同で入会山の公租、公課の割当、徴収、林道の修理等の管理をなすに止まつていた。ところが所属する村の異なる前記八部落住民の入会山であつたため管理が適切に行われず、各住民による濫伐のため山林が荒廃し、そのため入会山から流出する鮎川の氾濫のため前記各部落特にその最下流にある井上村四部落はしばしば洪水の被害を蒙つたので、大正一三年三月二七日長野県の指導により旧来の住民による自由な入会を規制して治山、治水をはかるため前記三村所属部落間において入会山を分割する旨の協定が成立し、その後更に細目について協議や実測を重ねた結果昭和四年井上村四部落が共同で入会山のうち本件土地の所有権を取得した。井上村四部落はその頃各部落総代の協議により前記入会山分割の趣旨に則り、共同で取得した本件土地につき共同して治山、治水のための植林事業を営むことを契約(組合契約)した上、その全業務の処理を各部落から選出された旧来の入会山委員(右分割に際し整理委員の名称でその衝に当つた。)全員に委任し、かつその頃全住民の黙示の同意を得て従前各住民の有した直接の収益権能を右委員全員の許可があるときに限りこれを行使し得ることに制限した。そして右四部落は同年一二月一日右共同事業から将来生ずることの予想された収益を四部落に分配する比率を定めることを主たる目的として前記協定をなすに至つたのであるが、右比率を定めるに当つては明治初年地租改正の際の四部落の戸数で、その後実際の戸数の変動とは関係なく四部落の公租、公課その他の費用の分担の基準として使用されて来た井上部落二一〇戸、幸高部落四九戸、九反田部落四〇戸、中島部落八五戸という戸数をそのまゝ収益分配の基準として踏襲したのであつて、右協定の趣旨は本件土地から生ずる全収益の一〇分の三は四部落に等分し、一〇分の七は前記戸数に比例して各部落に分配するというのである。(前記協定第三、四項は第一項と同趣旨を表現したものと解すべきである。)

証人小林義実、佐々木佐十郎、牧嘉一、中島源之亟、山岸惣太郎、山岸勇及び被告横山、同一色本人は、明治四四年頃井上村四部落の住民のうち井上部落二一〇名、幸高部落四九名、九反田部落四〇名、中島部落八五名計三八四名が原告となつて高甫村、仁礼村の各部落を被告として長野地方裁判所に入会権の確認及び妨害排除の訴を提起した際、井上村四部落の住民中右三八四名以外の住民は右訴訟の費用を負担せず入会山に対する権利を放棄したため、前記入会山分割の結果本件土地は右三八四名の共有となつた趣旨を供述し、成立に争のない乙第三九号証によれば当時右のような訴訟が長野地方裁判所に提起されたことは明かであるが、一方、公文書であるから真正に成立したものと認める甲第五八号証によれば当時入会山の費用として住民から直接徴収したのは右訴訟の費用だけで、その他の費用は多年各住民から徴収した区費から支出されていたことが認められるので、仮に右三八四名以外の住民が右訴訟の費用を負担しなかつたとしても、その一事によつて入会山の権利を放棄したものと認めることは相当ではない。のみならず右三八四名の内わけである各部落の住民数は前記認定のとおり明治初年以来公租公課その他の費用を右四部落に割当てる基準として実際の戸数の変動とは無関係に踏襲されて来た各部落の戸数と符合するので、特段の事情の認められない本件においては、むしろ右訴訟の提起に当り右戸数に合わせて原告となる住民の数を揃えたものと推認するのが相当である。よつて右各供述は信用することができないし、他に前認定を動かすに足りる証拠はない。(乙第一一、第一二号証の各一、二をもつてしても前認定を動かすに足りない。)

そうだとすれば本件土地は前記入会山の分割により井上村四部落(現在須坂市所属)の共有となつたのであつて、被告等主張の三八四名の共有となつたものではないことが明かである。

二、(管理委員の権限等)

成立に争のない甲第一、第四、第三八号証、第五五ないし第五九号証、原本の存在及び成立に争のない乙第四号証の七及び九、を総合すれば、前記入会山分割後は井上村四部落選出の旧入会山委員が井上村四部落共有山林管理委員(当初は山林委員とも呼ばれたが、本判決においては入会山分割後の委員を以下管理委員という。)として本件土地の管理に当つたが、その定数は旧入会山委員当時の慣例に従い、井上部落選出四名、幸高、九反田、中島部落選出各二名、計一〇名とする慣例であり、各部落における管理委員の選任、辞任の方法及び任期については各部落の内部規範である慣習にまかされていたこと、管理委員は前認定のとおり入会山分割の際組合関係にある井上村四部落から右四部落が共同して行う植林事業の全業務の処理を委任されたのであるが、その際併せて右委任の範囲内において自己の名において本件土地を管理しその毛上を管理、処分する権限をも授与されたこと、管理委員一〇名は後に井上村四部落管理委員会(当初は井上四部落山林委員会と称されたが、本判決においては以下これを管理委員会という。)を組織し、うち一名を委員長、一名を副委員長としたが、その議決は全員一致によつてこれをなし、右権限の行使は常に各管理委員全員の名においてこれをなす慣例であつて、右権限は管理委員会組織後も管理委員全員に合有的に帰属すること、昭和八年九月二二日当時の管理委員一〇名は右の権限にもとずき本件土地の管理の便に資するため、本件土地に隣接し四部落から本件土地に至る通路に当る別紙第二目録記載の土地ほか四筆の土地を、四部落のため右一〇名の名において柄沢五一郎、柄沢利一から買受け、同月二九日右一〇名の名義で所有権移転登記を経由し、その頃四部落から右土地につき本件土地と同様自己の名においてこれを管理し、その毛上を管理、処分する権限を授与されたことが認められ、右認定を動かすに足りる証拠はない。(本件土地及び右土地の管理及び処分等の一切が管理委員会の決するところであることは被告の認めて争わないところである。)

原告等は、管理委員の選任、辞任の効力の発生については管理委員会の承諾を必要とする慣習である、と主張し、甲第四号証、第五五、第五六号証にはこれに添う記載があるが、右記載のみでは未だ右慣習の存在を認めるに足らず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

三、(管理委員たる地位の確認請求についての判断)

昭和二三年当時の管理委員が原告等六名及び坂本重雄、原山千代松、山岸信太郎、山岸住蔵の一〇名であつたことは当事者間に争がない。

被告等は、昭和二三年五月頃当時井上部落選出の管理委員であつた原告山岸加一郎、同清水初三、坂本重雄、原山千代松は管理委員を辞任し、被告横山、同一色、麻相田九三郎、中島源之亟がその後任として同部落選出の管理委員に選任された、と抗弁し、その頃右原告両名ほか二名が当時の井上部落総代であつた横山豊太郎に管理委員の辞表を提出したことは当事者間に争がない。そこで右辞任及び選任の効果が発生したか否かについて判断するに、前叙のとおり管理委員の選任、辞任については各部落の内部規範である慣習にまかされていたところ、成立に争のない甲第五五号証、証人横山豊太郎(第一、二回)、宮下政次郎の各証言、原告山岸加一郎本人尋問の結果によれば、井上部落においては管理委員の選任は部落総代(区長、自治会長ともいう。)が部落の役員である当役四名と協議した上本人の承諾を得てこれをなす慣習であることが認められ、特段の事情の認められない本件においては、管理委員の辞任も部落総代が当役四名と協議の上辞任を承認して本人の提出した辞表を受理しなければ辞任の効力が発生しない慣習であると認めるべきところ、前記横山豊太郎が当時の当役四名と協議の上原告両名ほか二名の辞任を承認して右各辞表を受理し、被告両名ほか二名を後任の管理委員に選任したことを認めるに足りる証拠はない。却て前記名証拠に原本の存在及び成立に争のない乙第四号証の七及び九、証人横山豊太郎の証言(第一回)及び原告山岸本人尋問の結果により真正に成立したものと認める甲第二号証の一ないし四、証人小林義実、山岸勇、山田静雄、中島源之亟の各証言、被告横山、同一色各本人尋問の結果を総合すれば、当時井上部落内に前記原告両名ほか二名に対立して本件土地及び別紙第二目録記載の土地(以下本件土地等という。)が前記三八四名の共有であると主張し管理規定設定委員会と称するグループがあつたところ、右委員会の委員長と称する被告横山は昭和二三年七月頃前記横山豊太郎から同人が保管していた原告両名ほか二名の辞表を借り受け、同月二三日同被告主張の共有権者のうち井上部落在住者の一部を集めて有権者総会と称する会合を開いた上、右会合において右原告両名ほか二名の辞任を承認して辞表を受理し、被告横山、同一色ほか二名を後任の管理委員に選任したと称して右辞表を前記横山豊太郎に返還することを拒絶したので、同人及びその後任の部落総代は慣例に従う辞表の受理及び後任の管理委員選任の手続をなさず、昭和二五年九月頃他部落の管理委員の要求により羽生田米蔵ほか三名を臨時に井上部落選出の代行管理委員に選任したのであるが、昭和二六年五月一七日に至り昭和二三年から昭和二六年までの井上部落総代、当役連名の書面により右原告両名ほか二名に対し辞意の撤回を勧告し、右四名はこれを容れて辞意を撤回したものであることが認められる。そうだとすれば前記原告両名ほか二名の辞任及び被告両名ほか二名の選任はいずれもその効力を生じなかつたものといわねばならない。

次に被告等は昭和二六年一月中島部落選出の管理委員であつた原告佐藤重太郎、同堀内房司が辞任し、堀内金之助、牧嘉一が新たに管理委員に就任した、と抗弁し、成立に争のない乙第二号証の一、二、証人近藤堯、綿田尚二、堀内六兵衛、牧嘉一の各証言によれば、中島部落においては部落総会の選挙によつて管理委員を選任し、二年毎に改選する慣習であつたところ、昭和二六年一月の改選に当り当時同部落選出の管理委員であつた原告佐藤重太郎、同堀内房司は落選し、堀内金之助、牧嘉一が管理委員に選挙されたことが認められるが、証人綿田尚二、堀内六兵衛の各証言によつて真正に成立したものと認める甲第六号証の二、証人近藤堯、綿田尚二、堀内六兵衛の各証言によれば、右牧嘉一ほか一名は間もなく辞任したので同年五月二四日の同部落総会においてこれを承認し、改めて右原告両名を管理委員に選挙し、右原告両名は同日新たに管理委員に就任したことが認められ、右認定に反する証人牧嘉一の証言は前記各証拠に照らし信用せず、他に右認定を動かすに足りる証拠はない。そして特段の事情の認められない本件においては前記同部落の慣習は二年毎に管理委員を改選する建前であるが、仮に右改選が行われなかつたときは従前の管理委員がそのまゝその地位を保有するという趣旨と解すべきところ、同部落においてその後管理委員の改選が行われたことの主張、立証はないから、右原告両名は現に管理委員の地位にあるものといわねばならない。

更に被告等は昭和二九年九月一日開催の井上村四部落共有山林有権者総会の決議により原告等は全員管理委員を罷免されたと抗弁し、弁論の全趣旨によれば被告等の右抗弁は本件土地等が被告等主張の三八四名の共有に属することを前提とし持分の過半数を有する共有権者の決議により原告等を罷免したという趣旨であることが明かであるところ、本件土地等が右三八四名の共有でないことは前認定のとおりであるから、仮に右抗弁事実が認められるとしても右総会の決議による管理委員の罷免は無効であり、被告等の右抗弁は排斥を免れない。

そうであるとすれば原告等六名は現に管理委員の地位にあるものといわねばならないところ、被告等においてこれを争つていることはその主張自体によつて明かであるから、原告等六名が前叙のような権限を有する管理委員であることの確認を求める請求は正当として認容すべきである。

四、(立倒木の伐採、搬出禁止請求についての判断)

原告等は、被告横山、同一色が昭和二六年頃被告和久井に対し別紙第二、第三目録記載の土地上の立倒木を売却し、同被告はその頃被告保科木材有限会社に右第二目録記載の土地上の立倒木を売却したと主張するところ、右のうち別紙第二目録記載(14)ないし(17)の土地上の立木、及び第三目録記載の各土地の一部の上の立木が売買されたことは被告等の自白するところであるが、その余の土地上の立木が売買されたことを認めるに足りる証拠はない。(甲第五号証の記載だけでは右事実を認めるに足りない。)

被告等は、被告横山、同一色は昭和二六年三月二二日当時の管理委員会の決議にもとずき本件土地等の全部につき立木を伐採の目的で他に売却する権限を委任され、右権限にもとずいて前記立木を被告和久井に売渡した旨主張するが、証人牧嘉一の証言により真正に成立したものと認める乙第五号証の一、証人牧嘉一の証言、被告横山、同一色各本人尋問の結果によれば、被告等主張の管理委員会の決議に賛成した管理委員は被告横山、同一色、麻相田九三郎、中島源之亟、牧嘉一、堀内金之助、山岸住蔵の七名であつて、前認定のとおり当時管理委員であつた原告神田善三郎、同穂刈五右衛門、山岸信太郎の三名はこれに加わつていないのみならず、右七名のうち被告横山、同一色、麻相田、中島の四名の管理委員選任が無効であることは前認定のとおりであるから、被告等主張の決議によつては被告横山、同一色は本件土地等の立木を伐採の目的で他に売却すべき権限を取得せず、従つて被告和久井及び被告保科木材有限会社は右各売買によつて右各立木の所有権を取得しなかつたものといわねばならない。また被告等は前記昭和二九年九月一日開催の井上村四部落共有山林有権者総会の決議により被告横山、同一色の前記立木売却行為は有効なものとして追認された旨主張するが、右決議が無効であることは前叙のとおりであるから被告等の右主張は採用の限りではない。

そうだとすれば他に特段の主張のない本件においては、被告横山、同一色は本件土地等の全部につき、被告和久井は別紙第三目録記載の土地につき、被告保科木材有限会社は別紙第二目録記載(14)ないし(17)の土地につき、それぞれ共有権者である井上村四部落に対する関係においてその上の立木を伐採、搬出(既に伐採したものについては搬出のみ)すべからざる義務があり、右四部落に対する関係で被告等に対してそれぞれ右各土地の立倒木の伐採、搬出を禁止する必要があるものといわねばならないが、(被告和久井は前叙のとおり別紙第三目録記載の各土地の一部についてのみ立木を買受けたものであるが、その部分を特定できないから右各土地の全部につき立倒木の伐採、搬出を禁止する必要がある。)別紙第二目録記載の土地のうち右(14)ないし(17)を除く土地については、被告保科木材有限会社に対し立倒木の伐採、搬出を禁止する必要がないというべきである。

そして前叙のとおり組合関係にある井上村四部落のために管理委員として自己の名において本件土地等の毛上を管理、処分する権限を有する原告等六名は、その資格において右四部落のために被告等に対し右立倒木の伐採、搬出の禁止を求める本件訴訟の原告となる適格(訴訟追行権)を有するものと解すべきであり(頼母子講の管理人に関する最高裁判所昭和三五年六月二八日判決参照。)、前叙のとおり右管理、処分権は管理委員全員に合有的に帰属するから、右訴訟は固有の必要的共同訴訟であるところ、前記昭和二三年当時の管理委員一〇名のうち坂本重雄、原山千代松、山岸信太郎、山岸住蔵が原告等主張の年月日に死亡したことは当事者間に争がなく、成立に争のない甲第五六号証によれば、右四名の管理委員の後任はいずれも選出されておらず、現在の管理委員は本件原告等六名のみであることが認められ、右認定に反する証拠はない。もつとも証人山岸勇は、幸高部落においては昭和二八年一二月二三日右山岸住職の後任として山岸勇を管理委員に選出した旨供述し、乙第二〇、第二二号証にはこれに添う記載があるが、右各証拠によれば、右選出は本件土地等が井上村四部落住民中被告等主張の三八四名の共有に属することを前提とし、そのうち幸高部落の共有権者四九名で構成されるいわゆる有権者総会の議決によつてなされたものであることが認められるところ、本件土地等が右三八四名の共有でないことは前認定のとおりであるから右選出は無効であるといわねばならない。そうだとすれば本件原告等の被告等に対し立倒木の伐採、搬出の禁止を求める請求は前記の限度において正当として認容し、その余は失当として棄却すべきである。

五、(結語)

よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条を適用して主文のとおり判決する。

六、(附記)

当裁判所は本件訴訟の共同原告であつた亡坂本重雄、亡原山千代松、亡山岸信太郎の本件被告等に対する訴訟は同人等の死亡によつて当然終了したものと判断するので、その理由を以下に附記する。

右三名の管理委員たる地位の確認訴訟の訴訟物は右三名の管理委員たる地位であるところ、前認定の事実によれば右地位は相続によつて承継されないことが明かであるから右訴訟は右三名の死亡と同時に当然終了したものといわねばならない。

右三名の前記被告等間の各立木売買無効確認訴訟(本件原告等は右訴を後に立倒木の伐採、搬出禁止の訴に変更したものである。)は右三名が本件原告等六名と共に管理委員たる資格において井上村四部落のため提起したものであるところ、管理委員全員が死亡または辞任によつてその資格を喪失したときは訴訟手続は中断し、後任として管理委員に選任された者が訴訟手続を受継ぐべきであるが(民事訴訟法第二一二条参照。)前叙のとおり管理委員の前記管理、処分権は管理委員全員に合有的に帰属するから、そのうちの一部である右三名が資格を喪失したときはは、その原告たる適格(訴訟追行権)は残余の本件原告等六名に吸収され(民事訴訟法第四八条、信託法第五〇条第二項参照。)、右三名の訴訟はその死亡による資格喪失と同時に当然終了したものと解すべきである。

(裁判官 滝川叡一)

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